ヒストリー
スプリングコートは、クレーコート用に製造された初めてのテニスシューズです。
1936年、ジョルジュ・グリムメイセンによって、開発されました。ソールに4個の空気穴(通気孔)が施されているのが特徴です。 人気を博した1960年代、スポーツシューズの域を超え、都市文化再生のシンボルとなりました。
1870年
グリムメイセン家とラバーの歴史
1870年、アルザスの樽職人セオドア・グリムメイセンは、故郷を離れ、パリ近郊に工場を設立します。彼の息子は、樽の完璧な水密性を実現するため、ラバーに目を向けます。




ジョルジュ・グリムメイセン セオドアの孫ジョルジュ・グリムメイセンもラバーに魅せられ、1930年、一体成型で完全防水のラバーブーツ、「コリブリ」ブーツを開発します。
1936年
スプリングコートの誕生
1936年、テニス好きのジョルジュ・グリムメイセンによって、スプリングコートの誕生です。コットンキャンバスとバルガナイズ製法のラバーソールを用いた、通気性のよい革命的なシューズでした。
このクレーコート用テニスシューズは瞬く間に広まり、プロ、アマ問わず、多くのプレイヤーたちに使用されるようになります。70年代後半まで、コート上で一世を風靡しました。 現在は、ジョルジュの息子、セオドア・グリムメイセンが、代表を務めています。
1960年
テニスコートから街へ
人気絶頂の1960年代、スポーツシューズが、初めてスポーツの域を超えて利用されるようになります。イベントのときも、ダンスのときも、日々の暮らしの中にスプリングコートがありました。ロックスター、アーティスト、あらゆる人々に受け入れられました。型にはまらず、控えめながら個性をしっかりと表現するシューズとして愛されました。スプリングコートはその誕生から、2,500万足以上売れています。1990年代に入って、さらに、モード界で脚光を浴びることになります。

都市文化を新たに表現するスプリングコートのスタイルが確立します。コレクションは流行の変化を取り入れながら、しかしオリジナルの型はずっと守り続けられています。


ベルヴィルの工場
1870年、当時樽職人のセオドアが設立した工場は、パリ11区に位置し、現在までTh. グリムメイセン社の本拠となっています。 19世紀、パリ近郊は徐々に変化し、工場のあるベルヴィル地区は、パリの下町となりました。


ここ25年間で全面改修を行った工場では、オーディオビジュアル、写真、音楽、建築分野の様々な活動が行われる場となります。